
先日、ヨーガ療法士の勉強会で、
「
痛みとこころ」
について勉強してきました。
この「痛み」というのは、とてもやっかいです。なぜなら、日常生活でも体のどこかに強い痛みがあると、私たちの意識は、その痛みに引っ張られてしまい、体だけではなく、心までもつらく悲しい思いを強く感じてしまいます。
そして、この痛みには、外部的要因(急性疼痛)と、内的要因(慢性疼痛)あり、
急性疼痛は、痛みの原因である病気や怪我が完治すれば、治るものであり、
慢性疼痛は、原因としての病気やけがは治癒したはずなのに
痛みだけが長期間続いたり、
そもそもの原因がはっきりしない痛みがあることを言います。
ですので、どういった痛みかにより、対処の仕方も異なってきます。
そして、この「痛み」に対して私たちは、
心が不快・不安・恐怖・怒り・悲しなどを感じると、痛みもより強く感じ、
逆に、心が平穏で、気分がリラックスしている状態の時は、
痛みを感じる度合いも軽減されます。
つまり、痛みとこころは繋がっていると言われています。
現代医療では、鎮痛剤だけではこの「痛み」を
処方できない時代になっているのだそうです。
そして、この「痛み」は、主観的疼痛知覚と言われ、
「痛み」を感じることでの報酬というものあるんだとか。
その報酬には、4つあり、
①擁護反応(痛みを伝えることで、人にかまってもらえる)
②現実回避(痛みがあることで、いいわけが出来る)
③葛藤回避(痛みがあることで、逃げれる)
④家族システム維持(「支え合い」が湾曲された形のまま、絆を作る)
これらの報酬、なんだか現在、痛みで苦しんでいる人からしたら、
ひどい話かもしれません。
ですが、私は実際、この話を聞きながら、今まで生きていた人生での
「痛み」に伴う、自分の心の在り方を振り返り、納得しました。
幼少期、日々仕事で忙しい両親に、痛みを訴えることで、かまってもらえた心地よさ
思春期、本当はたいした痛みではないのに、
痛みがあることをいいわけにして、学校を休んでいたことなど、
当時の心の状態を思い起こすと、この報酬の言いたいことがわかりました。
つまり、自身の存在意義を確認したく、誰かに強く「依存」したり、
または、ストレスから逃げるというため行為だったりもするのが、
この「痛み」でもあるかもしれません。
でも、決してこれらの「痛み」がいけないということではありません。
「
痛みとこころの繋がりを知る」
これが大切になります。
無知な状態と、理解していての状態での
「痛み」との向き合い方は大きく違います。
無知な状態ですと、痛いことにこころが大きく反応し、
嘆き悲しみ、未来を想像し、自分の人生をより苦しいものとしてしまいます。
しかし、理解している状態であれば、
最初は痛いことに嘆き悲しんだとしても、
その痛みを軽減するには、どうしたらいいのか?
この痛みはどういった時に感じ、どういった時には気にならないのか・・
といった形であるがままの状態に意識が向くことで、
「今を生きる」ことに繋がり、余計なことを考えなくなります。
これを
といいます。
痛みとこころの繋がりを理解することで、
その痛みと上手に付き合っていきたいものです
