私達の”記憶”は、どのくらいまでが正確なのか、考えたことありますか?
記憶というのは、ヨーガの世界では、
チッタと言われる、「
記憶袋」に収納されているようです。
この収納は、
小さな引き出しがたくさんある棚、だと思ってください。
私たちは、夜寝ている間、その日にあった出来事について
記憶の整理をしています。
一日で体験したもの・情報収集したものの量は、膨大なものです。
すべて覚えていたら、パンクしてしまいます。
ですので、必要な情報、そうでない情報に振り分けているのだとか。
そして、必要な情報を、この引き出しにしまっているのです。
そして、今後、何か新しい体験をするとき、
初めて対面する人とあったときなど、
私たちはその記憶の棚から、
似たような体験・似たような人のイメージを引っ張ってきては
安心したり、嫌悪感を抱いたりしています。
でも、その似たような記憶は、過去のもので
今、目の前にある出来事のことではないのです。
そして私たちは、その過去の体験にくっついている
「私」が感じた感情を
いつも優先させてしまいがちです。
例えば、昔、ブランコから落ちて、恐怖を感じた経験をした方は、
ブランコ以外の乗り物に対しても、揺れる=落ちる=怖い といった形で、嫌悪感を抱くかもしれません。
そして、嫌悪感を抱く思い出というのは、自分の中でトラウマとなってしまう傾向もあります。
ここで、大切なのは、私たちの記憶が本当に「
事実」なのかということです。そして、その事実に感情がくっついていないかどうかです。
この感情がくっつくことにより、物事の記憶も、事実から少しずつ自分の感情優先な記憶へとすり替えられてしますのです。
また、昔話を友人や家族としたときに、話が食い違っているということ、意外にあります。
なぜ、こんなことが起こるのか・・・
それは、私たちは物事を、その時の自分の心の状態のまま受け取るからです。
つまり、色々な出来事は、「
受け取り方次第」でいく様にも受け取れるということです。
そこに、「私」という感情がつくことで、記憶が認知間違いを起こし、物事をややこしくしています。
色眼鏡や決めつけの感情で、人や物事を見ているうちは、
「事実」と「「私」の感情」の区別が何であるか、わかりません。
ヨーガの中で行う「瞑想」では、こういった認知間違いに気づき、
修正していくという役割もあります。
たまには、記憶の棚の整理をし、心に静けさを与えたいものです